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最高裁判所第三小法廷 昭和43年(オ)813号 判決

上告人

沢畠一郎

代理人

岡田錫淵

被上告人

関西急送株式会社

右代表者

後野周次

代理人

前田知克

主文

原判決を破棄し、本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人岡田錫淵の上告理由第一点ないし第三点について。

原審は、つぎの事実、すなわち、被上告会社の代表取締役であつた川本直水は、昭和三九年三月二〇日、訴外日邦開発株式会社(以下「日邦開発」という。)の代表取締役である佐竹三吾との間に、川本は日邦開発に対し同人およびその他の株主の所有する被上告会社の株式合計一二万余株を代金一億八〇〇〇万円で譲渡することを約し、これに伴い、同年四月七日に開催される予定の被上告会社株主総会において川本が代表取締役を辞任するとともに、右佐竹のほか、日邦開発の取締役である小倉基嗣および沢博士が取締役に就任する旨の合意をしたこと、そして、同年三月二〇日以降は右佐竹ら新経営者側において被上告会社の業務運営の一切を行ない、その間に小倉および沢において銀行その他より融資を受けて被上告会社につき増資をし、これをもつて株式譲渡代金の支払いにあてることとし、そのため、同年三月二〇日、被上告会社の取締役会において、右増資先に対する交渉の便宜上、小倉を総支配人に、沢を副支配人に選任し、同人らに会社業務運営の責任を一任する旨の決議をしたこと、しかし、川本ら旧経営者側としては、正式に代表取締役が交替し株式譲渡代金の支払が完了するまでは、会社の業務全般にわたつてすべてこれを佐竹側に委譲することになお不安を残していたので、手形小切手の振出などの債務負担行為については両者の合意によつて決すべく申合せをし、その趣旨において、特に旧経営者側の常務取締役北鉄夫、総務部長一色英二をして小倉、沢らの業務運営に協力関与せしめることとしたこと、他方、沢は当時訴外日邦開発の代表取締役として、事実上、同会社を主宰していたが、同人は、被上告会社の副支配人の地位にあつた同年三月二八日ごろ、右の旧経営者側に何らの相談もせず独断で、日邦開実発が訴外南海工業株式会社に対して負担していた債務の支払のため、被上告会社社長川本直水の記名印および社長印を使用して、同社長振出名義で日邦開発を受取人とする本件約束手形を作成し、同年四月一〇日、この手形に日邦開発の代表取締役佐竹三吾の名義で裏書をして南海工業株式会社の代表取締役伊勢孝雄に交付したところ、同人は即日これを上告人に裏書交付したので、上告人は本件手形の所持人となつたこと、本件手形の受取人および第一裏書人としての日邦開発の代表行為および代理行為はすべて沢がこれを行なつたものであること、同年四月七日の被上告会社の株主総会において、沢は取締役に選任されるとともに、同日の取締役会において代表取締役に選任され、翌八日その旨の登記をおえたこと、以上の事実を確定したうえ、「沢博士は本件手形を作成した当時においては、これについて被上告会社を代理又は代表する権限もなかつたが、これを南海工業株式会社に交付した時には被上告会社の代表権をもつていたわけである。しかし、本件手形の振出がそこに振出日として記載され、かつ、振出人としての署名がなされた昭和三九年三月二八日頃以降、右手形に第一裏書人の署名がされた同年四月一〇日までの間のどの時点においてされたと見るにしても、右振出行為は、沢博士が、一方振出人たる被上告会社の代理人として、他方受取人たる日邦開発の代表者としてしたのであるから、商法二六五条の規定により被上告会社の取締役会の承認をえない限り無効といわなければならない。そして、本件手形振出につき被上告会社の取締役会の承認があつたことについては主張も立証もない。」「上告人は、本件手形の振出につき、沢博士が振出人および受取人の双方を代理又は代表した事実を知らなかつたというが、右の無効は善意の手形取得者に対しても主張しうると解すべきであるから、上告人のこの主張も理由がない」と判示して、上告人の被上告会社に対する本件手形金の請求を排斥したのである。

しかしながら、原審の示した右判断は、つぎに述べるとおり、これを是認することができない。

(1)  原判決は、株式会社が商法二六五条に違反して約束手形を振り出した場合に、右手形の振出につき取締役会の承認を受けなかつたことによる無効は、受取人である会社の当該取締役に対してのみならず、手形をその取締役から裏書により取得した第三者に対しても主張しうるとの見解を前提として、本件手形の第三取得者である上告人の請求を排斥しているが、かかる場合において、会社の手形行為の直接の相手方である取締役に対する関係において無効の主張が許されることは格別、右手形がいつたんその取締役から第三者に裏書譲渡されたときは、その第三者に対しては、振出人である会社において、右手形が会社から取締役である者にあてて振り出され、かつ、その振出につき取締役会の承認がなかつたことについて、右第三者が悪意であつたことを主張、立証しないかぎり、その振出の無効を主張して手形上の責任を免れることができないものであることは、当裁判所大法廷の判例とするところであつて(昭和四二年(オ)第一四六四号・同四六年一〇月一三日大法廷判決参照)、これと異なる原審の見解は、当裁判所の採らないところである。してみれ、原判決は、商法二六五条の解釈適用について誤りをおかしたものといわなければならない。

(2)  のみならず、原判決は、本件の事実関係のもとにおいても商法二六五条の適用があるものとするが、前記事実関係によれば、沢博士が被上告会社代表取締役川本直水の振出名義で日邦開発を受取人とする本件手形を作成したのは、同人がなお被上告会社の副支配人の地位にあつた昭和三九年三月二八日ごろであつて、当時同人は受取人である日邦開発の代表取締役の地位にあつたというにあるところ、右のように約束手形の振出人の代理ないし代表者と受取人の代表者とが同一人であつて、その間に双方代理ないし双方代表行為が成立する場合においては、振出行為の完成を留保すべき特段の事情のないかぎり、振出人の代理人ないし代表者として法定の形式に従つて手形の作成をおえた以上、その時点において手形の振出行為が完成し、その後は受取人の代表者の資格において右手形を所持するにいたるものと解するのが相当である。したがつて、本件手形は、特段の事情のないかぎり、沢が被上告会社の副支配人の地位にある時に被上告会社を代理して振り出したものであつて、その代表取締役に就任してのちにその地位において振り出したものではないというべきである。そして、商法二六五条の規定は、株式会社の業務執行上の意思決定機関たる取締役会の構成員としての取締役に課せられた忠実義務に由来して設けられたものであるから、会社に対し代理権を有するにとどまる支配人(沢博士は、被上告会社取締役会の決議によつて副支配人に選任され、被上告会社の業務運営を一任されたというのであり、前示事実関係のもとにおいては、同人は商法三八条にいう支配人としての地位を与えられたものというべきである。)に対してまで同条を拡張して適用するのは相当でないと解すべきである。そして、このことは、沢が近い将来被上告会社の取締役に就任することが、川本ら旧経営者との間で予定されていたという事情によつても左右されるものではない。してみれば、沢が代表取締役に就任してのち本件手形を振り出したものと認めるべき特段の事情を明らかにすることなく、同人によつてなされた被上告会社の手形振出行為につき商法二六五条を適用した原判決には、この点においても同条の解釈適用を誤つた違法があるものといわなければならない。

(3)  上来説示するところによれば、沢博士は、特段の事情のないかぎり、被上告会社の副支配人たる地位において被上告会社を代理して、みずから代表者の地位にある日邦開発に対し本件手形を振り出したものであるから、その手形行為は、商法二六五条所定の場合には当たらないが、民法一〇八条本文所定の双方代理行為に当たることが明らかである。ところで、同条に違反してなされた代理行為は、本人による事前の承認または追認を得ないかぎり、無権代理行為として無効であるから、手形振出行為が双方代理となる場合においても、本人は、当該行為の相手方に対しては右手形の振出の無効を主張することができるが、商法二六五条の解釈適用に関する前記大法廷判決が述べるように、手形が本来不特定多数人の間を転々流通する性質を有するものであることにかんがみれば、右手形が相手方から第三者に裏書譲渡されたときは、その第三者に対しては、その手形が双方代理行為によつて振り出されたものであることにつき第三者が悪意であつたことを主張し立証するのでなければ、本人はその振出の無効を主張し手形上の責任を免れることはできないものと解するのが相当である。もつとも、前記事実関係によれば、沢によつて本件手形が振り出された当時、被上告会社においては、同人の業務執行上の権限に関し、手形小切手の振出などの債務負担行為については川本ら旧経営者と佐竹ら新経営者側との合意によつて決する旨の申合せがあつたというのであるが、かかる申合せが沢の副支配人としての代理権を右の限度で制限するものであるとしても、かかる制限については、商法三八条三項の規定により、被上告会社は上告人の悪意を主張し、立証しないかぎり、本件手形上の責任を免れえないものと解すべきであるから、沢が被上告会社を代理してした本件手形の振出行為は、たんなる無権代理の行為ではないというべきである。

してみれば、本件手形の振出がその振出人および受取人につき、沢の双方代理または双方代表行為に当たるとしても、上告人はその事実を知らずにこれを譲り受けたから、被上告会社は善意の上告人に対して振出の無効を主張しえない旨の上告人の主張につき、上告人の悪意の有無を審理しないまま本訴請求を排斥した原判決は、結局、民法一〇八条、商法三八条等代理に関する法令の解釈適用をも誤つたことに帰する。そして、原判決の叙上の違法はその結論に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は、結局、理由があるから、原判決は破棄を免れないものというべく、本件は、叙上の点についてなお審理を要するので、民訴法四〇七条に従い。これを原審に差し戻すこととする。

よつて裁判官関根小郷の意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官関根小郷の意見は、次のとおりである。

原判決は、沢博士のした本件手形の振出行為は、同人が、一方振出人たる被上告会社の代理人として、他方受取人たる日邦開発の代表者としてしたものであつて、商法二六五条の規定により、被上告会社の取締役会の承認を得ないかぎり無効であるところ、右振出につき被上告会社の取締役会の承認があつたことについては、主張も立証もなく、しかも、右の無効は善意の手形取得者に対しても主張しうるものと解すべきであるから、上告人の本訴請求は失当であると判示している。

しかし、約束手形の振出は、取引の決済または信用授受などの原因関係の手段としてされる行為であり、それ自体としては、取締役個人またはその代理もしくは代表する第三者に新たな利益を与え、会社に不利益をもたらす行為とはいえず、したがつて、約束手形の振出は、金銭の支払と同様、商法二六五条にいう取引に包含されるべきものではないと解する。その理由は、最高裁判所昭和四二年(オ)第一四六四号・同四六年一〇月一三日大法廷判決における私の意見と同様であるから、それを引用する。

なお、約束手形の振出は、民法一〇八条但書所定の債務の履行にあたるので、同条本文の適用はないものと解すべきである。その理由も、右に引用した大法廷判決における私の意見において述べたとおりである。

しかるところ、沢博士は、本件手形の振出当時は、被上告会社において商法三八条所定の支配人の地位にあつたものであり、同人の手形行為等に関する代理権についてされた被上告社における申合せには同条三項の規定が適用されて、被上告会社は、上告人の悪意を主張、立証しないかぎり、本件手形上の責任を免れえない旨の多数意見の見解には、私も賛成である。

よつて、論旨は、理由があるので、原判決を破棄し、本件について、さらに審理を尽くさせるため、これを原審に差し戻すべきである。

(下村三郎 田中二郎 関根小郷 天野武一 坂本吉勝)

上告代理人の上告理由

第一点 原判決は法令の解釈適用を誤つたものであるから破毀さるべきである。

一、原判決はその理由第三項で「本件手形の振出行為は、訴外が一方振出人たる被控訴会社の代理人として、他方受取人たる訴外日邦開発株式会社の代実者としてしたのであるから、商法第二六五条の規定により被控訴会社の取締役会の承認を得ない限り無効といわなければならないが、本件では右取締役の承認があつたことの主張も立証もない」ので、上告人の本訴請求は失当であると判示したが、それは本件事案を株式会社の取締役が取締役会の承認なくして第三者のために、会社と取引をした一事例であると即断したものであることは明瞭である。

然しながら、本件事案は、後に詳細に述べるように、右の事例には該当しないから、原判決は明治四二年一二月二日の大審院連合部判決(民録一五輯九二六頁)判旨を誤解し、その趣旨を不当に拡張解釈したものであるのみならず、右大審院の判例自体が間違つているので、原判決は破毀さるべきものである。

即ち、右大審院判例は、甲会社の乙取締役が会社を代表して手形を振出し、監査役(旧法時代だから監査役であるが、現行法では取締役会)の承認を得ないでこれを他の取締役丙個人に交付した事例について、斯かる場合を当然無効と判示したものである。

二、ところが、これに対しては手形取引の安全を害しひいては手形の流通証券たる機能をそこなうものであるとして、学界から非常な非難が起り、ことに松本烝治博士は独自の手形理論に基いて右判例の是正方を強く主張した位である。(大正元年一一月発行法学新報第二二巻第一〇号、松本烝治著商法解釈の諸問題第四五七頁)。これに続き、学界においては多数の研究が発表されたが、判例の結論を支持するものは殆んど皆無であつて、理論構成は種々異るけれどもいずれも右のような事例の場合における振出人の手形行為自体は有効であり、従つて、振出人は少くとも善意の手形取得者に対しては責任を負うべきものであるとの見解をとつている。そして下級審においてもこのような見解をとる判決(大正一〇年(カ)第三三一号東地民五判新聞一九四九号、大正一〇年(カ)第二九二〇号東地民一〇判新聞二〇〇四号、大正一一年(ワ)第一二三三号東地民一〇判評論一一巻商法第三二〇頁、大正一一年(カ)第一八〇三号東地民一〇判新聞二〇七二号、大正一四年(ワ)第一〇七七号名古屋地民一判新聞三〇五三号、その他東京地方裁判所で大正年間に同趣旨の判決が七件あり東京控訴院判決が三件ある、以上判例体系第二〇巻の一所載。最近の判決では次のものがある。

昭和二九年(ワ)第一一三二一号東京地方裁判所民事第一三部判決ジュリスト一一〇号、昭和三〇年(ワ)第八五〇二号、昭和三一年(ワ)第三七七九号東京地民判下級民集八巻三号、昭和三二年(ワ)第七三四九号東京地民判下級民集九巻一二号等)が多数なされるにいたつている。このような事実はとりもなおさず、右連合部判決が変更されることを経済界も学界も待望している証左であるのに、判例は依然として右大審院連合部判決の結論を墨守している現状である。

三、元来手形が流通証券として営んでいるその経済的機能を考えれば、手形取引の安全を当然重視しなければならないのに、会社の利益を偏重するのあまり、手形取引の安全を害するような右連合部判決が今日尚維持されているのは、甚だしい怠慢といわねばならない。時世の進展は今や原子力時代に入り、電子計算機が多くの方面に取り入れられているのに、経済界が要求するところの手形取引について、依然として鉄道馬車時代の判例理論が維持されねばならない理由は毫もないと信ずるから、宜しく右連合部判決を変更して、本件の場合振出人たる被上告人が責任を負うべきものとする判例を、確立されることを要望する次第である。

第二点 原判決は法令及び判例に違反したものであるから破毀さるべきである。

一、前述のように、原判決はその理由第三項で「本件手形の振出行為は、訴外沢博士が一方振出人たる被控訴会社の代理人として、他方受取人たる日邦開発株式会社の代表者として……云々」と判示しているが、甲第一号証手形の表面に記載された振出人代表者氏名、および同裏面に記載された裏書人代表者氏名とを見れば、振出人たる被上告人会社代表者は川本直水であり、裏書人代表者は佐竹三吾であつて、訴外沢博士は何れにも表現されていない。従つて、本件手形面の記載上、訴外沢博士が手形行為の当事者ではないことは明白であるから、同人の行為について商法第二六五条の規定による被上告会社取締役会の承認が必要であると判断したのは、まつたく不当であつて、原判決は破毀さるべきである。

二、前述第一点で記載した大審院連合部の判決の事案は、甲会社の乙取締役が会社を代表して手形を振出し、取締役会の承認を得ないで、これを他の取締役丙個人に交付した場合であるが、本件手形の場合には、右に述べたように訴外沢博士は手形の記載上全然表明されていないから、右連合部判決の場合と事実を異にすることは明瞭である。

ところが、第一点で述べたように、右連合部判決に対しては、経済界や学界がこぞつて強く反対したため、その後の判例は、右連合部判決にやむなく従つても、その理論の適用についてはきわめて慎重であつて、無暗にこれを拡張するようなことはしなかつた。所謂署名代理(記名捺印の代行)についてその一例が見られる。

即ち、手形振出人として甲会社の乙取締役名を、他の丙取締役が代つて記名捺印した場合に、該手形の振出行為について商法第二六五条の規定による承認が必要とするか否かは、専ら乙取締役について決すべきであつて、丙取締役について論議すべきでないという判例が昭和七年になされている。(昭和七年(オ)第三二六号、昭和七年七月二五日民事部判決法律新報第三二五号)従つて、右判旨からすれば本件手形は、原審判決も認めたように、訴外沢博士が川本直水の記名捺印をして作成したものであるから、商法第二六五条の規定の適用を受くべきか否かは、専ら記名された川本直水について決すべきであるのに拘らず、原審判決はこれに反し、川本直水に代つて記名した訴外沢博士によつて決すべきものとして判断したのである。それは明らかに右昭和七年の判例に反するばかりでなく、右連合部判決の趣旨を不当に拡張したものである。かりに右連合部判決に従うとしても、それは手形面上に記載された者について商法第二六五条の適用を考えるのが限度であつて、手形面上に何ら記載されていない者が取締役であつたため、手形上の責任が否定されるようなことになつたら、それこそ手形の信用は壊滅してしまうほかない。けだし、手形行為に事実関与した者が何人であるかは、手形を取得する第三者としては、到底知りうべきことでないにもかかわらず、それによつて手形行為の効力が否定されるようなことになつたら、安んじて手形を取得することはまつたくできなくなるからである。従つて、原判決は破毀さるべきものである。

三、なお、元来商法第二六五条の規定が設けられた所以は、会社と取締役との間で利害が衝突し、会社に不利益を与えることを防止するためのものであることは明白である。従つて、手形行為をもつて単なる金銭支払手段的なものに過ぎないとする有力な学説に従えば、手形行為については、それ自体に利害相反の問題を生ずる余地がないから、商法第二六五条の規定の適用がないことは当然の帰結である。

然も本件の手形については、訴外沢博士が本件手形を作成した後、これを日邦開発株式会社の経理担当者北橋に渡して裏書してもらつているが、このような形にしなければならなかつた事情は別になく、本件手形を直接南海工業株式会社宛に発行して交付しても別に差支えなかつたことは、記録上明白なところである。このような場合であれば、商法第二六五条の規定の適用を受けることがないことはもちろんであるから、被上告会社は上告人に対し当然手形金を支払うべき責任を負うべきである。然るに本件の場合には何ら特別に必要な事情はなかつたが、たまたま訴外沢博士が関係ある日邦開発株式会社が存在するため、その経理担当者に日邦開発株式会社の佐竹三吾代表取締役名で、第一裏書の記名捺印をさしはさませただけのことであるから、それによつてその手形が一変して商法第二六五条の規定の適用を受けるものとなるということは、一般常識では到底理解し得ない結論である。換言すれば、日邦開発株式会社が全然これに関係しないで、直接南海工業株式会社宛に振出され、会社から上告人に裏書譲渡された場合と、本件のように先づ日邦開発株式会社宛に振出されて、同会社から南海工業株式会社に裏書譲渡され、更に上告人にそれが裏書譲渡された場合とを比べて見ても、後者の場合に特に被上告人に不利益になることはないこと明瞭であるから、本件手形宛名人として日邦開発株式会社が介在したからといつて、商法第二六五条の規定を適用すべきことになるのは不条理である。従つて、これに反する原審判決は商法第二六五条の規定の解釈を誤つたものであるから、破毀さるべきものである。

第三点 原判決は経験則及び大審院判例に違反して事実を認定したものであるから、破毀さるべきである。

一、原審判決はその理由第二項で、「昭和三九年三月二〇日被上告会社取締役会において、小倉を総支配人沢を副支配人に選任し同人らに会社業務運営の責任を一任する旨の決議をしたこと」を認定しながら、その理由第三項で、「沢博士が本件手形を作成した当時(甲第一号証記載で明白なように少くとも三月二八日以後である)においては、これについて被上告会社を代理又は代表する権限をもたなかつた」と説示しているのは、理由齟齬でなければ、経験則に反して事実を認定したものという外はない。

即ち、理由第二項において右のような事実を認定したのは、成立に争のない甲第二号証取締役会議事録に、明確に昭和三九年三月二〇日開催の取締役会で全員一致して、総支配人として小倉基嗣、副支配人として沢博士を選任して「業務運営の責任を一任すること」に決議した記載に従つたもので、極めて当然な認定である。従つて、いやしくも斯様な決議に基き業務運営の責任を一任された以上は、直接間接に営業は必要なる諸般の取引殊に法律行為をなす権限が与えられ、手形の振出のような行為もこれに包含されるものと解釈しなければならないことは、次の判例の示すところである。即ち、昭和六年五月九日大審院民事部第四部判決(新聞三二七三頁、小町谷、伊沢編商事判例集七五八頁)は事業の経営を任された場合について、「或事業を経営するということは単なる技術的操作を為すことのみならず内外に対し直接間接に営業に必要なる諸般の取引殊に法律行為を為すことを意味するや殆んど言を俟たず夫の手形振出の如き之を包含すること固より論なし、然らば即ち原審の確定する如く被上告人に於て内外護謨工業所の営業名義人たることを承諾したる以上其の営業に関し被上告人名義を以て手形を振出すことの如き亦概括的に其の承諾を与へたるものと観るべきは当然なるに拘はらず承諾は之を与へざりしと云うこと矛盾の嫌あるを免れず」と判示したが、この「事業経営」の表現と、本件の「会社業務運営の責任を一任する」の表現とは、同意義のものと解すべきであるから本件の場合少くとも右の判例の趣旨の権限が訴外沢博士にあるものといわねばならない。それ故斯様な立場にある訴外沢博士が、本件手形作成当時に、手形を振出す権限がないとするには、何等かの特段の事由がなければならないのに、原審判決にはこれに関する説示がないから、右判例の趣旨のように会社業務運営の責任を一任する以上は、手形振出しの権限も当然あるものといわねばならない。

尤も、原判決はその理由第二項において、「川本等旧経営者が不安を残し債務負担行為については両者協議して決すべくそのために常務取締役北鉄夫らをして小倉、沢の業務運営に協力関与せしめることにした」との説示があるが、それは単に監視人を置く程度の意味に過ぎなく、小倉、沢等の権限を掣肘するものでないことは、右認定の文理上明白である。このことは同理由第二項で認定したように、「三月二〇日以降は小倉、沢等の新経営者側で被上告会社の業務運営の一切を行い、銀行から融資を受けて被上告会社の増資資金に宛て、且つその資金で川本氏に対する株式譲受代金の支払にあてること、(被上告会社に払い込まれた増資資金は本来被上告会社の財産であるのに、川本らは小倉、沢らがこの被上告会社に入つた資金を不法に個人的株式譲受代金の支払にあてることを予定しているが、この点からみても、川本らが被上告会社に見切りをつけて一切を投げ出したものと考えられる)」まで旧経営者達が新経営者たるべき小倉、沢に資金操作の自由を与えた上、増資の手続も進まない四月七日(三月二〇日から四月七日までは増資手続が完了できないことは商法の規定上明白である)に現実に旧経営者が辞任して新経営者たる小倉、沢らが新代表者に選任された事実とを綜合して考えると、旧経営者達は三月二〇日の契約以後は一切を投げ出して譲受人たる小倉、沢らに全部を一任したものであることが一層明瞭に理解することができる。換言すれば増資手続が進行しなければ増資資金が会社に入らないから、川本らは株式譲渡代金を受領することができないのにそれを待たないで、それ以前の四月七日に小倉、沢等を代表取締役に選任して登記したのであるから、この時期以降は小倉、沢らの代表権限することができないことは明白であるにも拘らず、旧経営者達が敢えてこれをなしたところから推測すると、この四月七日以前においても旧経営者の川本らは、業務運営を一任した小倉、沢らの権限に制約を加える意思がなかつたことが理解できる次第である。

斯様な次第であるから、原判決は理由に齟齬があるか、然らざれば経験則に反して事実を認定したものであるから破毀さるべきである。

二、かりに原判決のいうように、川本らの旧経営者としては、手形小切手の振出などの債務負担行為については両者の合意によつて決すべく申合せをし、その趣旨において特に旧経営者側の常務らをして小倉、沢らの業務運営に協力関与せしめることとしたとしても、沢は前項のように副支配人として、経営全般に関する権限を与えられたものであるから、このような申合わせは沢が委任された権限自体を制限したものではなく、いわゆる内部的制限にすぎないものと解すべきである。原判決は沢らが旧経営者側に何らの相談もせず独断で社長名義で振出すいわれのない手形を振出したと述べているが、かりにそのようであつたとしても、それは対外的に権限外の行為であるとして、善意の第三者に対しても無効を主張しうるようなことにはならぬのである。この点からしても原判決は破毀せらるべきである。           以上

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